エドガー・ケイシーを暮らしに活かす!ホリスティックの第一人者、Edgar Cayce専門サイトからあなたへ贈るメッセージ集

0115:悩みすぎの方へ

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               ◆◇◆ 悩みすぎの方へ  ◆◇◆ 115号
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今回は考えすぎ、悩み過ぎについて。

 

以前読んだ本に、あるお坊さんのお話が載っていました。

 

うろ覚えなんで、ちょっと話が自己流になっているかもしれませんが・・・。

 

ある朝、僧侶と小坊主さんが道を歩いていました。川のそばに行くと、若い女性が川を渡れず困っていました。前日降った雨で川が増水し、渡ることができなかったのです。それで、僧侶はその女性を抱き上げ、向こう岸まで連れていってあげました。

 

その日の旅が終わり、宿についたとき、小坊主さんが僧侶に言いました。「なぜ、あなたは、あの川で女性を抱きあげたのですか。仏門に入れば女人禁制で、女性とは接触してはいけない規則があるはずです」と。

 

すると僧侶はこう答えました。「いつまで君は、心の中で、女性を抱き続けているのか。私は川を渡ったときに、その女性のことは置いてきたのに・・・」

おそらく、この小坊主さん、僧侶が女性を抱き上げたときから、心の中に僧侶が規律を破った怒り、不信、怒り、あるいは女性を抱いたことへの羨望、その他様々な感情がうごめいていたことでしょう。

 

どんなに景色が良くても、美味しいご飯を食べても、その日の旅の間ずっと「僧侶が女性を抱きあげた」ことばかりが、心のなかでぐるぐる廻っていたことと思います。僧侶は、そんな出来事があったことすら、すっかり忘れてしまっているというのに・・・。

 

小坊主さんみたいに、1つのことに囚われてしまって他のことが何も見えなくなってしまうこと、ありませんか?

 

私はこのお話を読んだとき「私も、小さなことに囚われて、他のことを考えられなくなってしまうことがあるなあ」と、自分のことを言われているような感じでした。

以前、何度かテンプルでは、こんなことが起きました・・・

 

テンプルはお客様から頂戴したご注文を箱詰めして、ご自宅までお送りしているのですが、ごくたまに、間違った商品をお客様にお送りしてしまうことがあります(ホントはあってはならないミスなんですが、どうしても、1年に何件かは起こってしまいます)。

 

そういう間違った商品が届いたとき、どうしますか? まあ、しょうがない。面倒だから、このまま受け取っておこう、と思う方もいらっしゃるでしょうが、普通は、テンプルに電話して「**の商品が間違っていました。交換してください」と言われると思います。

 

そして、テンプルでは「御免なさい!すぐに正しい商品と交換します!」となるわけです。

商品発送から数ヶ月後、あるいは数年後、こういうご連絡をお客様から頂くことがあります。

「実は、(**年)**月頃、×××という商品を注文したのですが、間違って△△の商品が届きました。偶然は無いといいますし、自分に起こったことには意味があると思って、そのまま間違った商品を受け取ったんですが、自分の何がこの商品を引き寄せたのか、それからずっと考えています。これには一体、どういう意味があるんでしょう?」

 

そして

 

「なんで自分の注文にだけ、こんな間違いをしたのか?と考えたり、間違いを犯したスタッフの方を許さなければならない、と思ったり。きっと、これには意味があることだから、自分はこの商品が必要なんだと思ったり。でも、なんで、この商品が必要なのか分からないし、実はそれから、ずっと考えているんです・・・」

 

確かに大きなエネルギー的な視点から見れば、この過ちにも意味があるのかもしれません。でも、起こっていたことは、発送時の梱包ミスです。すぐにご連絡があれば、すぐに正しい商品を送ることができます。

 

そして、そこでジ・エンド。悩みのエネルギーは終了です。1週間後には忘れてしまえるかもしれません。

 

でも、起きたこと全てに意味づけしていると、ずっとそこにエネルギーを残したままで、前に進むことができません。

 

発送ミスにでさえ、起こったことについて、意味を1ヶ1ヶ考えてしまうんですから、この方にとって、生きることは、かなりしんどいことだろうなあって思います。まして、商品発送から、数ヶ月、数年後にそういうご連絡を頂くこともあるわけですから、その間、ずっと、その商品についてのことが頭の隅にあったことになりますよね。

 

・・・それを知った私たちも心が痛くなってしまいます。

こんなこともありました。

 

なんでも、かんでも色々なことに悩んでいる知り合いがいました。

両親のこと、子供の成績、ご主人の仕事のこと。とにかく、会えば必ず思い通りにならない自分の人生のグチを言われました。

 

でもまあ、これは彼女の家族のことです。子供にはいい学校に行ってもらいたいし、ご主人には出世してもらいたいし、確かに悩むには理由があるでしょう。

 

でも、起こっていないことまで彼女は悩んでしまうんですね。

 

いつだったか私が「こんなに才能豊かなステキな友人がいて・・・・」と友人自慢をしたことがあります。

 

それを聞いた彼女、翌朝、私にこう言ってきました。

「そんなに素晴らしい人だったら、きっと若くして亡くなってしまうか、病気になるに違いないわ。それを考えたら昨日は眠れなかった・・・」

 

私は思わず「彼女は元気です! 病気にもなってません!」「現実に起こってもない他人のことまで、悩む必要無し!」と叫んでしまいました。

 

こんな人、身近に一人くらい、いません?

もちろん、私も、「実際に存在しないこと、起こってないこと」でクヨクヨ悩んでいたことが過去に何度もあります。特に対人関係では、悪いほうへ、悪いほうへと想像が行ってしまいますから。。。。

 

でも、今は「それは現実に起こっていることか。自分の想像が入っていないか?」って考えるようにしています。対人関係で悩んだ時も、相手の人から実際にそう言われたのか」 それとも勝手に自分で「あの人はそう思っているに違いない」と想像して反応しているだけなのか」って考えます。

 

もし、想像が入っているなら「実際に起こってから悩むことにして、今は考えるのを止めよう!」って思い返します。・・・もちろん仕事では、将来起こるかもしれないことについて対策を考えておくこともありますが、仕事の問題は、悩みではなく「解決すべきこと」の範疇なので、悩みとは違ってきます。

それにしても、悩みなんて、実際に起こっていることより、ホントには存在しないことで悩むことのほうが多くないですか? 

 

言い換えれば、悩みの多くが「考えすぎ、過剰な反応、勝手な想像」の産物。自分の心が勝手に作り出していることかもしれません。そして、対人関係の場合には、ちょっと一言聞いてみたら「な~んだ。私の思い過ごしだったわ」ということもあるかもしれません。

 

また、現実に起こっていることでも、その悩みを心の中の「解決すべきこと」フォルダーに入れて「悩むこと」から「解決すべきこと」に変換すると、その瞬間から、悩みとは違った性質を持ち始めると思います。

最初に書いた小坊主さんだって、すぐに僧侶に聞いて納得できていれば、そのあとの旅は景色を楽しむことも出来たのに・・・。

 

 

それではまた!

 

(有)テンプルビューティフル メルマガ115号  2005年9月17日配信

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