エドガー・ケイシーを暮らしに活かす!ホリスティックの第一人者、Edgar Cayce専門サイトからあなたへ贈るメッセージ集

0534:もっと聖なる時間を!

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     ◆◇◆ もっと聖なる時間を! ◆◇◆ 534号
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(有)テンプルビューティフルの光田菜央子です。


先週末の日本エドガー・ケイシーセンター20周年記念講演会は大盛況でしたね。

エドガー・ケイシーやケイシーセンターの歩みなどを写真を使って紹介する、という
コーナーもあったので、講演会終了後、何人もの方に、こんなお声かけをいただき
ました。

『ミツダさんってケイシーのお母さんに似てますよね~』

自分では『ちょっと似ている』程度だと思っているんですが、『そっくり!』と言わ
れることもあり、少々面食らっているさいちゅうです。

というわけで、ケイシーのお母さんがどんな顔か興味がある方はこちらをご覧下さ
い。

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連休中、ご縁があり、奈良県の大峰山(蛇之倉七尾山)の戸開け大祭に参加させて
いただきました。

戸開けに際して、大峰山で修行をされている行者さんから『今の祈りを忘れた日本人
と、荒れた日本と山の様子から、自然と神様は大変ご立腹されている』旨のお話を
伺いました。乱れた日本人の心の立て直しは、かなり緊急を要する状況のようです。


これを聞いて『かつての日本人と今の日本人と一体大きく何が変わったのだろう?』
と考えてみました。子供の頃の記憶を辿ってみれば、そういえば、かつての日本人は
朝晩、神仏に手をあわせる、お天道様に手をあわせるということを日常的に行って
いたような気がします。

『おかげさまで』『いただきます』という美しい日本語があるように、目に見えない
もの、自分が生きるためにいただいてきた命、大自然の営みや万物に対し感謝を捧げ
る心を受け継いできたのが私たち日本人だったような。

その感謝の心をあえて『祈り』とは表現していなかったようにも思いますが・・・・

先月末に開催した入江富美子さんの『へそ道』。
参加者は自分の素と繋がり、御魂を磨きながら生きる、そのすべを2日間を通して
学びました。入江さんも親様から『これからの時代、今まで眠っていた人のへそが
どんどん開きはじめる。その時に、みたまの存在を知らないと大変生きづらい。
それまでに、一人でも多くの人にみたまの存在を知らせ、種を蒔いていて欲しい』
と言われているそうで、これからは定員20名、30名という少人数ではなく、100人、
1000人単位のへそ道を開催していく必要がありますね~と入江さんと話をしました。

へそ道であれ、修験の道であれ、別のスピリチュアルな道であれ、霊的目覚めた
人の、あるいは大勢の人の一致した祈りというのは、そういう世界観を持たない人
を霊的に引き揚げ、目覚めを誘発させる力があります。


ケイシーはこのように述べています。

『・・・理解されているように、生命(神)とは、本質において波動である。そして、
肉体的存在は原子の力で出来ていて、生命(神)の一部である。生命(神)の覚醒と
は、波動が形成されるのをどのように意識するかということである。

我々の見解では、見ること、聞くこと、味わうこと、話すこととは、肉体の意識の
中のその部分に同調した波動が変化したものにほかならない。そして、様々なこと、
波動に気づくようになり、内面あるいは外面から波動を受信する。

従って、波動を励起させるのに調整が十分でない人の場合には、その人の送る祈りや
考えは別の人には聞こえない。しかし、多数の一致した祈りや思想があれば、人に
霊的な力の指示を継続することにより、目覚めを生じさせるほどに高めることができ
る。それは丁度、小さなしずくが固い石さえも穿つようなものである』281-4


おそらく、このメルマガの読者さんは、世間的にはちょっと変わった、でも霊的な
意味では一歩前に進んだ方が多いのではないかと思います。


ということで、今回からしばらく『祈ること』『霊的に生きること』をテーマに
ケイシーリーディングを紐解きながら、神の嘆きを9回裏2アウトからの大逆転、
大難を小難に、そして美しい地球と美しい日本を次の世代に残すべく、切磋琢磨の
御魂磨き人間、入江富美子さんふうに書くと『へそ人間』増量キャンペーンをして
みたいと思います。

江戸末期や明治の世に日本を訪れた諸外国の人々が、日本人は貧しい庶民でさえ高い
徳を持っていることに驚嘆したと言われています。かつては確かにあったハズの高い
精神性。再び私たち1人1人に取り戻していきたいものです。

では、祈ることについてケイシーはどのように述べているのでしょうか?

祈りはしばしば瞑想と共に語られることが多いので、祈りと瞑想が一緒に語られて
いますが、このようなリーディングがあります。

『聖になるための時間を持つこと。何かはっきりとした目的のために瞑想し、祈る
こと。そのような瞑想と祈りをせずに一日が過ぎることがないようにせよ。自分の
ためではなく、自分が誰か他の人を助けるための水路になるためである。なぜなら、
人を助けることが、自分を助ける優れた道であるからだ』3624-1


とはいえ、1日なんてあっという間。祈っている時間、瞑想をしている時間などとて
も取れません!っていう方も多いと思います(私も、そう言いたい1人です)。

しかし、祈ったり瞑想をする時間の取れない人間は、自己中心的になったり、物質的
になってしまうとケイシーは警告しています。

『・・・述べたように、時間を適切に配分することが必要だ。 肉体的、精神的、霊的に
休養するための時間を取ること。これは口で言っているだけではない。

なぜなら、この実体だけでなく、誰でもそうだが、これらのことをしなければ、その
実体は自己中心的になるか、あるいは、人生の物質的価値に偏った人間になってしま
うからだ。時間を作って聖となれ。時間を作って祈れ。ゆっくり休む時間や、勉強
する時間、人々と交わる時間、ふさわしい人間関係を持つ時間――これらの時間を
作れ。仕事をするための時間を取り、仕事をしている時には鬼のように仕事をしろ!   
しかし、汝が公言しているがごとくに、神と人への奉仕にあって敬虔であれ』
257-254



瞑想と祈りについてケイシーは下記のようなリーディングを遺しています。

これは祈りのグループに対して与えられたリーディングだけあって、他の人に与えら
れているものより、祈りと瞑想に対する姿勢や要求水準が高く、厳しいものになって
います。

しかし、今の時代は、おそらくこのような厳しさで祈りと瞑想に取り組む人がより
必要とされている気がします。かなり覚悟が必要ですが。

*下記のリーディングは長文なのと、じっくり味わっていきたいこともあり、今回は
前半部分のみをご紹介。来週、後半部分を書かせていただきます。



『多くの人は瞑想と祈りの違いについて、ほとんど、あるいは全く認識していない。 
しかるに、さまざまな研究を通して、瞑想と祈りについて、きわめて明確な考えを持
つ人がここに多く集まっている。

瞑想などということがあろうとなかろうと関心を持たず、誰かが自分の考えている
ことをやってくれるだろうと当てにし、状況のままに任せることで満足している人達
もいる。 彼らは、いつか、どこかで、状況や環境が自ずから、彼らの運命に都合の
良いように変わるだろうことを望んでいる。

しかし、あなた方のほとんどは何か他の理由があるに違いない。あなた方にこの時間
ここに居合わせることを促した何か、何らかの願望があったはずである。 それは、
汝に希望を与える何かを、あるいは、汝が現在の運命にもっと満足できるようにさせ
てくれる何かを、言葉から、行為から得ようと思うからであり、あるいは、汝らが
今追い求めている道において自分の正しさを保証してくれる何かを得たいと思って
いるからだ。

そこで、あなたがた一人一人に、われわれは次の言葉を与えたい。

汝らは誰もが、自分が何処より来たりて、何処に向かうかについて、しばしば混乱
してきた。 汝らは、汝自身の目から見て、あるいは汝の隣人の目から見てまったく
美しいとは言えない、まったく清浄であるとは言えない、まったく純粋であるとは
言えない、そういう体と心を持っている自分に気づいている。 また、自分の心を
活動や探求に駆り立てるものよりも、自分の外見の方を気にする人が多くいる。

しかし、それが瞑想と何の関係があるのかと、汝らは問うだろう。そもそも瞑想とは
何か。

瞑想は黙想でも白昼夢でもない。 汝らの体は肉体、精神、霊によって成り立って
いるが、瞑想とは、精神と肉体を霊的本源に同調させることである。

多くの人は、魂を持っているという意識は全くないと言う。しかし、汝らが希望し、
より良いものを欲するという事実そのものが、 悲しんだり喜んだりできるという
事実そのものが、 その本質において一時的ではない何物か、 臨終の息とともに消え
去ることのない何物か、 自分の起源そのものであるところの魂 ――造り主の似姿に
造られたもの――それは汝の肉体でもなく――汝の精神でもなく――創造主の似姿で
あるところの汝の魂に 基づくところの精神活動を示しているのである。

それ故、瞑想とは、造り主との関係を知ろうと求めている汝の肉体的属性と精神的
属性を同調させることである。 これこそが真の瞑想である。

あなたはそれをどのようにして実現するか? 汝らは、個人として、どのようにして
瞑想を学べば良いのか?  

それ故、汝の精神体と汝の肉体の一部を用いて、汝の魂の体、つまり汝の超意識に
対して、意識的な接触を持たなければならない。 このような名称は、汝らがそこに
有限な枠を設けたことを示しているが、魂に境界はない――それは、多くの方法、
手段、仕方によって、あなた方一人一人の心の表現に示されている』
                 リーディング281-41の前半部分終わり


来週はこのリーディングの後半部分と、ケイシーリーディングにしばしば登場する
『祝福の水路』についてご紹介させていただきます。


今回の『へそ道』開催をきっかけに、チーム64(祈るように生きる、へそで生きる
5%を目指して)というフェイスブックページを作りました。

まだスタートしたばかりですが、ぜひ『いいね』を押して下さいね。



ケイシーの述べた霊的な成長、祈りや瞑想については、下記の書籍やDVDをオススメ
します。


書籍『神の探求』

DVD『揺るがない自分をつくる』
DVD『ケイシー流ヨハネの黙示録講座』


(有)テンプルビューティフル メルマガ534号 2014年05月09日配信

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