エドガー・ケイシーを暮らしに活かす!ホリスティックの第一人者、Edgar Cayce専門サイトからあなたへ贈るメッセージ集

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0302:エドガー・ケイシー奇跡の生涯

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      ◆◇◆ エドガー・ケイシー奇跡の生涯  ◆◇◆ 302号
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(有)テンプルビューティフルの光田菜央子です。

横浜の新オフィスからの初メルマガです。

こんな感じのお店になりました。


オープンにあたっては、いろいろな方からお祝いのお花をいただいたり、カードや
メールを頂戴しました。ありがとうございます。

この横浜の地で、さらに5年、10年とテンプルの歴史を積み重ねていけるよう、
ますます張り切って、仕事に励んでいきたいと思っています。

テンプルが新しく入ったのは、上階が有料老人ホームとなるビルのオフィスフロア。
来年からは同じ階に幼稚園もできるのですが、いまはまだ工事のドリルの音が時々
する以外は、静かなビルです。

ちなみに駅の出口を間違えると、迷子になってしまう確率大です。こちらに写真入り
で駅からの道順をご説明しています。事前にご確認下さいね。また迷ったら、迷わず 電話を下さい。  皆さまのご来店お待ちしています。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 今日は、エドガー・ケイシーの「隠れた1冊」をご紹介しようと思います。 タイトルは「エドガー・ケイシー奇跡の生涯」 原題は My life as a Seer 「Seer としての私の人生」 Seer は、予言者、千里 眼、先見者、占い師と訳すそうですが、ケイシーの場合、Seerは、その全ての意味を 含んでますよね。 原題がMy life-「私の人生」とあるように、著者は、なんと!エドガー・ケイシー 本人。 ケイシーが晩年、自分の人生を振り返りながら口述筆記したものや、ケイシーの父親 が書き残した文章、ケイシー自身の日記、そして晩年のケイシーの様子が1冊の本 として(※日本では2冊に)まとめられています。 私は日本語で出版されたエドガー・ケイシー関連の本は、ほぼ全部を読んでいます が、この本で初めて知った事実もたくさんありました。※記録に残っているものと ケイシーの記憶とが食い違っているものも、いくつかあるようですが・・・。 この本から2カ所、本文をご紹介します。 今年6月、私はエドガー・ケイシーの生まれ故郷、ケンタッキー州のホプキンスビル を訪ねてきました。その時、かの地で、面白い事実に気がつきました。 案内されたケイシーのゆかりの家や建物のいくつかが火事で焼失していたんです。 ホプキンスビルでは、ケイシーの親戚の方に案内していただきました。何度、彼に 「ケイシーが生きていた時にあった建物は、火事で焼けました」と言われたことか。 私が生きている中で間近に体験した火事は、子どもの頃、近所のお風呂屋さんが 焼失した時の、ただ1回だけ。 1人の人間が人生のなかで、家が焼失するのを間近に見るとか、自分の家が焼ける ということはそうそう無いと思うのですが、ケイシーゆかりの地では、そんな場所が いくつもあったんです。 ケイシーが経営し、その腕の良さで評判だった2つの写真館が、原因不明の火事で 焼失してしまったのは有名な話ですが、それ以外でも、こんなにたくさんの火事が あったなんて、ホプキンスビルに行くまで全く知りませんでした。 もちろん100年以上前に建てられた木造の家ですから、火事になる可能性は高いと 思います。でも、ある人物にまつわる家ばかりが焼けているというのは、やはり 不可思議な現象です。 そんなことを思いつつ、日本に帰ってこの本をあらためて読み返していたのですが、 この本の中に、以前読んだ時には読み飛ばしていた、面白いケイシーのエピソードを 発見しました。 「エドガー・ケイシー、奇跡の生涯」をお持ちの方は、103ページです。 ケイシーが旧友を自宅に泊めようと一緒に帰宅してみると、自宅には来客がたくさん 来ていて友人を泊めるスペースがまるで無かったという、ある冬の夜の出来事です。 ~以下、103ページより~ ・・・しかも父からはひどい言葉を、母からはやさしい言葉をかけられたせいで、靴 とコート以外は何も脱がず長椅子へ身を投げだしました。するとなぜかその夜、家は 火事にあいました。というか、私が火事になったのです。というのも、長椅子が ほとんど丸焼けになってしまったのです。ほかにベッドカバーと私の衣類のほとんど が。とはいえ、長椅子は火のついたベッドカバーや服とともに、うまく戸外に運び だすことができました。  降り積もる雪の中で火はすぐに消えました。そのほかには物質的な被害はほとんど ありませんでした。人のごったがえす大きな家は、しばらくたいへんな興奮に包まれ ましたが。 旧友を泊めようと家に連れて帰ってみれば泊められるスペースは無い。そのうえ、 父親からひどい言葉を言われ感情的になった。そんなケイシーの心象風景が実際の 現象となって自然発火したのでしょうか? ケイシーが体験したこの夜の出来事は、ケイシーの身のまわりで起こった様々な火事 と何か関係があるような、そんな気がするのは私だけでしょうか? 次ぎにご紹介するのは、ケイシーが亡くなった直後に書かれた追悼文です。 (473ページ) ・・・(ARE)設立当初にはとても広々として見えた図書館は、せっせと手紙を取り かわす速記者であふれ返った。ケイシー氏本人もあらゆる手紙に目を通し、夜遅く まで答えの口述に励んだ。また日中には(2回ではなく)、8回から12回のリーディ ングをほどこした。それでも応募してきた相手のごく1部しかこなせなかった。 不幸話や苦労話の綴られた手紙が、彼の双肩に重くのしかかった。長い奉仕生活で 初めて、助けを求めてきた相手を全員は助けられなくなってしまったのである。 そこでますます仕事に精を出したものの、予約はどんどん受け付けられ、とうとう 先々1年以上が埋まってしまった。去る9月にリーディングで自分のことを診断して みると、神経が完全にすり減るところまでいってしまったことを知らされた。そして そこから回復しなかった。 彼の亡くなった衝撃はとても大きかったので、今これを書いているときも、もっとも おしゃべりな連中でさえ、口をつぐんでいる。いったんエドガー・ケイシーのことを 知ってしまうと、その後は彼のいない世界など想像がつかなくなってしまうのだ。 彼のリーディングのない世界、彼の人格、親切、その簡潔にして完全なキリスト教 思想のない世界などは。 そうした役目をはたした期間は長きにおよぶ。リーディングを通じて、60年におよぶ 聖書講読を通じて手をさしのべた相手の数は、計算しつくせないほどにのぼる。 そんな彼にも、大志が1つだけあった。リーディングで伝えられた役に立つ良いもの は、何であろうと死後、いっそう多くの人に行きわたればと思っていたのである。 (後略) ケイシーは、最晩年、文字通り、自らの命を削りながら人々から寄せられた依頼を こなしていました。 エドガー・ケイシーが遺したリーディングには、まだまだ私たち日本人の目に触れて いないものがたくさんあります。というより、目に触れていないものの数のほうが 圧倒的に多いのです。 テンプルでは、これからどれだけ、それらケイシーが遺されたリーディングをご紹介 できるか分かりませんが、直接、間接を問わず、これからますます多くの方に、ケイ シー・リーディングの真髄をお伝えできるよう励んでいきたいと思っています。 これからもどうぞ応援よろしくお願いします。 今日ご紹介した書籍「エドガー・ケイシー奇跡の生涯」は、エドガー・ケイシー自身 が語った、自身の思いに触れることのできる数少ない本です。 ただ、決して読みやすい本ではありません。また翻訳も大変だっただろうなと思う 箇所がたくさんあります。 ですから、どちらかというと、過去に何冊かケイシーの本を読んだことのある上級者 向きの本と言えますが、この夏、腰をすえて何かケイシーの本を読みたいなと思われ る方には、ぜひ、読んでいただきたいオススメの1冊です。 日本語版は、本編と「資料・索引編」の2冊に分かれています。 本編「エドガー・ケイシー奇跡の生涯」は、エドガー・ケイシーが語った彼の人生の
思い出の書 「資料・索引編」は、ケイシーリーディングの翻訳文、ケイシーについて書かれた 記事、本編では割愛されたケイシーの演説など、少し専門的な内容のものが収録され ています。 寝苦しい夏の夜、夜中にふと目が覚めてしまったときのために、ベッドサイドに1冊 いかがですか?
(有)テンプルビューティフル メルマガ302号 2009年07月31日配信

 

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